都会の中の森
人が造り育てた豊かな「自然林」
高層ビルが建ち並ぶ日本の首都・東京。その大都会の中に広大な森がある。なぜここに森があるのか。どのような森が造られたのか・・・・・・。森造りに携わり、森を守る人びとを通して、明治神宮の森を紹介しよう。
空から見た明治神宮の森。鬱蒼とした森の2キロメートルほど北には、新宿の高層ビルの「森」が・・・
東京のほぼ真ん中に、木々が鬱蒼と繁る森がある。明治神宮の森だ。その中に、一歩足を踏み入れると、都会の喧噪から隔絶された静寂さに包まれる。
神宮の森は、今から80年ほど前に人の手によって造られた「人工の森」である。しかし、その佇まいは「自然林」と呼ぶにふさわしい姿を見せている。それこそが、この森を造った日本造林学の父・本多静六の目指したものだった。
古来、日本人は、自然の大いなる力に畏敬の念をもって生きていた。森は、生きる糧を与えてくれる豊かな恵みの場であると同時に、闇が濃い恐ろしい場所でもあり、森そのものに神や精霊が宿ると考えられてきたのだ。神を祀る神社のほとんどが、森に囲まれているのはそのためである。
明治神宮を創建するためには、社殿だけでなく、森も必要だったのである。本多は、百年かけてこの荒れ地に森を出現させようと意図し、二つの基本方針を決めた。
一つは、東京の気候風土に適した木々で森を構成することだ。そのため、シイ、カシ、クスなどの常緑広葉樹を主木とし、さらにケヤキ、クヌギなどの落葉広葉樹を配することにした。自然なまま育った広葉樹の献木を全国から募ると、365種、約10万本もの木が寄せられた。さらには植栽のために、全国からのべ11万人もの青年たちがボランティアとして集まった。
そして、もう一つの方針が、天然更新させるということだった。つまり、木を植えた後は、自然の力によって世代交代を繰り返させていくという考え方だ。
創建決定から6年後の1920年、植樹は完了した。以来、今日まで天然更新の方針は守られ続けている。
「私たちは、木が持っている生きる力を見守り、その手伝いをしているだけなんです」
そう語るのは、神宮の森を管理している技師の沖沢幸二さんだ。倒木は、そのまま腐るにまかせ、土に戻す。参道に落ちる落ち葉も掃き集め、すべて森に返している。何も持ち出さず、何も加えず、ただただ自然のままに、というのが管理の大きな方針なのである。
そうして今、適者生存の原則によって、木の種類は約247種に減ったものの、数は17万本を超える都区内最大の森となった。
大鳥居を覆うように広葉樹の大木が葉を繁らせる明治神宮の森。シジュウカラやハクセキレイ、カワセミなどの野鳥の姿も見ることができる。